Minami Hakone

0時起床。藤井さんに長いメールを書く。重要なので以下にコピーする。

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藤井さん

貰った電話で長話しをさせてもらいました。私は変わり者で、話をわかってくれる人は少ないです。大抵は、何だこいつ、ちょっとおかしいんじゃないの、と思われるのが落ちです。ありがとうございました。

翻訳は2年ほどやりました。分からないことは納得するまで調べる性分なので、時間ばかりかかり、稼ぎになりません。毎日毎日朝から晩までやってもせいぜい月数万から最高でも10万強でした。そんな生活の中で俺はこんなことをしていていいのか、と疑問が生じ、インド哲学をやりたいという気になってきました。

三菱の前の東京都のときに知り合ったSEと今でも交流があり、その人から、田村総合研究所の事業目的にありましたよ、と指摘されました。コスタリカで10年の重要書類保管の責任期限が切れ、全て焼き捨て、すっかり忘れていました。閉鎖登記簿は10年で破棄する原則ですが、幸い、閉鎖後10数年たった登記簿が上尾の法務局に残っていて、取り寄せました。確かに、古代インド哲学の研究が事業目的に載っていました。

そんな2008年の暮れに国語学者大野晋を知りました。訃報だったかも知れません。タミル語が日本語の源流で、古事記万葉集の良くわからない言葉等がタミル語で解釈できる。また、水田農耕にかかわる行事や言葉もタミルが源流だ、縄文から弥生への移行のトリガーを引いたのはタミルではないか、という説を唱えています。学会では異端児のようですが、私は大変興味を持ちました。

それで、タミル語の本を探して少し勉強しました。インターネットで調べると著者は南インドにあるアジア文化を研究する研究所のインド人向け日本語コースの教材(英語)も書いているので、インド在住ではないかと、そのとき思いました。以下の講師のプロフィールに略歴が載っています。

https://www.wako.ac.jp/kaihou/form/detail.php?id=17

以下の写真の一番左が先生です。

http://www.wako.ac.jp/kaihou/voice-p201002.html

しかし、タミル語はアルファベットも全く違い、片手間でやれる相手ではないことがわかりました。まずは英語で教えることで生活費を稼ぐ為に、自分を売り込む材料として、資格をいくつか取ることが先だと判断して、英語に集中し、タミル語は断念しました。

この五月の連休後に、100までは楽に生きそうだった母の余命が、実は短かそうだということを知りました。そして丁度その頃、私が昔タミル語を少しかじった本の著者が和光大学で教えていることを知りました。そして更に青山学院で教鞭を執っているインド人と結婚しているらしいと分かりました。以下が夫君の著書です。

http://www.exoticindiaart.com/book/details/IDK434/

見ておわかりのように、これはチベット仏教、日本密教の源流に関するものと思われます。そしてそのprefaceにI am extremely thankful to my wife Dr Yuko Fukuroi, for actively involving with this work and for extending unstinting encouragement and support all throughout the research. とあります。和光大学の先生も、関与しているわけです。勿論この本はインドから取り寄せました。

これは何か運命的なものがあると思えてなりません。秋期10月からタミル語初級講座で中途募集があるそうなので、万難を排して、行こうと思います。時間も遅く、遠いですが、小田原経由の小田急で何とかなることを時刻表で確認済みです。それまでに、春期で既に終了した部分のタミル語を独習し、講師の他の本等(英語の博士論文等がネットにありました)を読み、夫君の本も読むこと、それが今私にとっての課題です。

ガイド試験は金も払い込み済みで、勉強も多少は進行していて、一次試験が8月末、二次試験が12月初めです。実は投げ出したいのですが、ブログでやることを宣言しており、どうするか悩ましいです。投げずとも、優先度は下げざるを得ないと思います。母の現在の状態では、英語を教えることで日本での生活費を稼ぐという必要性は薄くなっています。

長々と書いて失礼しました。お陰で、自分の方向性が徐々に見えてきました。ですが、まずは、母を看取ることです。その為に不本意ながら、この元酔っ払いは帰ってきたわけです。

田村

P.S. 開高健が「河は眠らない」の中で語っています。人は生まれた所が故郷(ふるさと)であるとは限らない。心の故郷は違いますからね。それを見出せた人は幸せです。だからアフリカに行って帰らない人、インドに行って帰らない人がいるわけです。時間を見付けてビデオを見て下さいね。飲みっぷりが豪快ですよ

P.P.S. 自分で自分の国を守ることが当たり前でなく、占領軍に押し付けられた憲法平和憲法と称していつまでも大切にする。綺麗に着飾り、美味しいものを食べ、楽しく遊び、金は為替や株で稼ぐ人が理想で、こつこつまじめに働いたり勉強する人はダサイ。こんな日本には愛想がつきています。しかし自分はどうすることも出来ない。そんな矛盾を思いながら日本にいるのは辛いですね。私は一切見ませんが、妻の見ているテレビを時々覗くと、食べることばっかりですよ。女子高生を見ても、日本沈没不可避を感じます。情けないですね。

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散歩、54分。

「ひだまり」へ洋子と行く。母は寝ていた。可哀相だが、死期は迫っている。

戻って、英検より到着した成績表でブログ更新。滝口さんにもメール。夕食時に後部鼻漏が気管に入り、苦しむが、大事ではない。食事は要注意。

http://d.hatena.ne.jp/toeic990/20100724


「ひだまり」へ洋子と行く。母は寝ていた。可哀相だが、死期は迫っている。