特養への入所申込書

「ひだまりの郷」への入所申込書を下書きする。ケアマネの意見で修正し、出来次第、提出する予定。以下、その中の「その他の事項(家族の状況等、介護において特に困っていることがあれば記載してください。)」に記載予定の内容をコピーする。ワープロで打ち、貼り付けて良いと、相談員の許可をもらっている。手書きする自信はない。

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昭和20年に結婚した最初の夫との間に男子が一名出生したが、昭和44年に協議離婚。昭和49年に再婚した二度目の夫との間には子供なく、結局、子供は一人である。

再婚時、息子も一緒に入籍するという先方の申し出を断ったため、再婚後、息子との間が疎遠となる。夫より、息子の家には子供ができても泊まってはならぬと言われ、夫の生存中は一泊もすることがなかった。また、息子とその妻との間には子供ができなかったため、嫁・姑の関係も親しいものにはならなかった。平成7年より息子夫婦は海外暮らし。ますます、疎遠となる。平成9年転倒。左膝を骨折し、入院。退院後今日に至るまで左膝の変形と痛みに苦しむ。平成11年、薬物による自殺未遂の結果、脳内出血で入院。3ヶ月後に退院し、家庭復帰。しかし、夫の身の回りの世話をする以外は寝たきりで、どこにも出かけることのない生活となる。平成16年4月に息子夫婦が帰国し、熱海市に居住。しかし、息子夫婦の気持ちを受け入れず、疎遠状態が続く。16年11月に転倒。その後は弱気となり、息子夫婦の気持ちを、幾分かは、受け入れ始める。17年7月、30年の再婚生活の後、夫と死別。17年9月に息子夫婦の住む静岡県に東京より転居。以降、同居はしていないが、息子夫婦の介護の下に生活。18年9月6日転倒し、左大腿骨頸部骨折。順天堂病院に入院し、8日手術。9月21日NTT病院に転院し、今日に至る。

尋常小学校卒業後すぐに、上京し、親が老いる姿、また、親が祖父母を介護する姿を見ていない。その為か、自分の老いを受け入れられず、年寄りを介護する人の気持ちも、わからない。住み込み店員を数名雇用して商売をし、繁盛。収入は夫を凌駕。このためか、自分のやり方を他人に押し付ける傾向が現在に至るも抜けず。また、幼くして丁稚奉公した経験が三つ子の魂にしみ込み、封建的傾向が強い。嫁・姑の関係が親しいものではないのにもかかわらず、嫁が姑の世話をするのを当然と考えている。

NTTの主治医より、安全に、自力で排泄できるまでの回復は困難で、一人でさせると、再転倒、再骨折の可能性大と言われている。主治医の意見は、入院当初より不変。

入院当初は回復を願っていた息子も、現在では、主治医の意見の妥当性を認め、退院後、自宅復帰させるという計画を再考し、断念。息子は喘息の持病を持ち、ステロイドを朝晩吸入して発作を抑えている状態。訪問介護、デイ・サービス、ショート・ステイ等を利用しても、直接的介護、特に、下の世話を、嫁がせざるを得ない状態が起きる可能性を否定できない。その時は、息子夫婦の夫婦関係に、ひびが入ることが考えられる。かかる事態を避けるため、また、残された日々を本人が、安全に、痛みなく、楽しく、将来への不安を感じることなく、充実して暮らすためには、自宅復帰でなく、施設入居が望ましい。そして、本人も、自宅復帰でなく、病院・施設での生活を望んでいる。自宅に戻ると、施設との往復が頻繁で、せわしくなり、再転倒・再骨折の危険性が増す。

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生活歴を作ったが、「ひだまりの郷」の生活歴欄は小さく、直接は使えない。しかし、「ぬくもりの里」が、一番詳しい内容を要求していて、そこ用には使えるかも知れない。

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生活歴

・大正11年10月5日、茨城県にて出生。幼名、田村キヨ。兄2人、姉2人、弟1人、妹1人。
尋常小学校卒業後上京。洋裁店に住み込み奉公する。
・昭和20年3月、小濱廉吉(大正7年生)と結婚
・昭和21年1月、長男、博昭を出生。
・昭和23年、夫と共に洋裁店「小濱洋服店」を東京都港区に開店。住み込み店員数名を雇用。やがて収入は夫を凌駕する。
・昭和44年、協議離婚
・同年、洋裁店「園オリジナル」を開店
・昭和49年10月、「園オリジナル」を閉店し、宮野入義春(明治42年生、前妻とは死別、既婚の娘2人)と再婚、専業主婦となる。このとき長男博昭は、宮野入家に入籍せず。以降、疎遠となる。
・平成17年7月、30年の再婚生活の後、夫、宮野入義春死亡。2度目の結婚では子供なし。
・平成17年9月、函南町に転居。以降、同居はしないが、長男夫婦の介護下で生活。
・平成18年7月、伊豆の国市に転居。
・平成18年9月6日、自宅にて転倒し、左大腿骨頸部を骨折。順天堂病院に入院。8日手術、21日NTT病院に転院し、現在に至る。

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韮山図書館で母用の本を借り、NTT病院に母を見舞う。「小林一茶」は、まだ、全部読んでいなかったが、「これいいよ」と言っていた。車椅子でNTT構内を一周。結構きつい。池の鯉には餌をやっている人が多く、本日は断念。途中、リハビリの午前の部の担当者と会ったので、膝用のサポーターを買うことにしたのでお願いしますと、頼む。1万数千円近くするそうだ。しかし、そもそも主治医が言い出したことでもあり、今後施設に移ったとき、私がリハビリを母にさせるときに必要となる。左膝の変形の進行を少しでも防ぎつつ、足の筋力を維持するためのリハビリをさせたい。確かに高いが、個室の負担に比べれば、いかほどでもない。現在は大部屋だ。