日曜日

母のための最終施設として内浦湾にほぼ面した「ひだまりの郷」はどうかと考え、電話する。しかし、本日は担当者不在で本日は見学はできず。近くの「ぬまづホーム」は、地図を調べたところ、海からかなり離れている。しかし、一度行ってみる価値はありそうだ。

精神障害のある子供の親のことにつき、妻と話をする。妻の姉の友人と、私の友人が、そのようなケースで苦労している。親の介護は終わりがある。しかし、子供がそのような状態のとき、親としてどんな思いか。筆舌に尽くし難い思いだろう。姉の友人の場合、その娘に姉がいるそうで、その姉が面倒をみると言っているそうだ。その点、多少の救いを感じる。しかし、私の友人の場合は、一人娘だそうだ。私の苦労など、物の数ではないと思うべきなのだろう。コスタリカの家の近くの公園で、10代後半の息子と思われる障害者を連れて散歩していた、初老の男性を思い出す。

NTT伊豆病院にオフクロを見舞う。昨日渡した「中国の故事No.1」は半分位のところに付箋が入り、これは難しいという。黒柳徹子の「トットの欠落帖」を渡し、中国の故事をとり上げようとすると、それは置いておけという。まだ読む気はあるようだ。

しばらく車椅子での散歩をしていなかったので、乗せて、病室を出る。まずは肋木の所に連れて行く。手でつかまり、立ち上がり、足をわずかに動かす。すぐ隣の手すりに移動してみなさいと言うが、やろうとしない。傷めた左足に体重をかけることが、まだできないようだ。こちらに転院してきてからは一ヶ月。手術からは一ヵ月半たっている。自力でトイレに行けるようになるまで回復することは、不可能だと感じる。本人のやる気が十分でない。今日は日曜でリハビリがなく、息子を頼って頑張ろうと、何故しないのか。

病院の構内を一周する。途中、最終施設である「伊豆白寿園」の位置を確認。富士山は見えず。お前の家はどこだと言うので、車椅子を止め、遠くのマンションを見せる。自分の家という感覚はないようだ。途中、竜舌蘭の小型版のような植木の白い花と、コスタリカで「夜の女王」と呼ばれているトランペット型の黄褐色の花を愛でる。正面の池の鯉に餌をやり、病室に戻る。途中、明日の介護区分の変更調査のことを話す。何もわからないと答えておけば良い。それだけは、理解させ得たと思う。