Minami Hakone

午前中、久しぶりでJにメール。母の件で、精神的に手一杯。他のことが、思うようにできず。

午後は介護日記参照。


本日は妻と二人で、NTTへ行く。「サン静浦」の入所面接と、NTTよりの評価会議の結果報告がある。

ポピュラー時代小説No.3、リブリオ出版、「大活字版、柴田錬三郎集ーー柴錬立川文庫」231頁、韮山図書館は、読み終わっていた。「若草物語」は途中まで読んで、ギブアップ。横文字の名前が多く、無理だったようだ。「おせん」、「リンカーン」を渡す。

「サン静浦」の婦長が来て、面接が始まる。まず、自力で車椅子に乗り移らせ、食堂まで自走。途中、ギブアップで、私が押して、食堂へ。氏名、生年月日、住所(現住所はわからず、東京の再婚前の住所を答える)、夫はいつ亡くなったか(はっきりわからず)、その他の質問を直接本人へ。トイレの質問から、はいている下着に質問が及び、私が、リハビリパンツと答えても、婦長は、自分で実物を確認するほどの執拗さで、驚く。家族構成、生活略歴等は、結局、私が答えたものをメモしていた。そこまで細かく確認するならば、入所申込書に欄を作って、事前に書かせておくべきだ。全体的にかなり高圧的に感じる。入所申し込み者が多く、殿様商売をしているのはないか。本日の夕方に判定会議があり、その結果で、入所の是非が決まるとのこと。介護区分の変更申請の話しになったとき、この状態では3ですね、とのコメントあり。入所に黄信号点灯か、と感じる。

面接終了後すぐに、NTTより、評価会議の結果報告があった。報告は、思ったとおり。転倒前の状態までの戻りは困難、自力で排泄できるようになる可能性はあるが、見守りなしでは、再転倒の可能性大、自宅復帰でなく、施設入居が好ましい。以上であった。

終了後、ナースステーションの前を通ると、まだ婦長がいた。いろいろ母の状態を確認していたようだ。プロに任せ、帰宅する。

面接中に母が婦長の了解の下で病室に戻る。妻が車椅子を押す。命令調であれこれ指示され、腹が立った、もう私は来ないと、妻はかんかんであった。プロか私以外に、母の介護はできない。

婦長の話では、評価会議の結果を電話するとのことだったが、待てど暮らせど、来ず。黄信号から赤信号点滅に変わったようだ。点滅でなく点灯かも知れない。